すっかり涼しくなりました。
川崎物件の大規模修繕の話をしていますが、
続きは明日書くことにして、今日は会社の後輩から聞いたひょんな一言から見えた「今の日本」について。
気分転換程度に。
「なんで、みんなこんなに真面目に働くんでしょうね。」
僕が今務めている会社は、大手のIT関連企業(の子会社)です。
中小企業規模の従業員規模ですが、御多分に漏れず、「大企業病」に侵されています。
頭脳明晰な人は周りを見渡すとたくさんいます。
与えられた仕事を確実に、かつ、高い品質を合わせて実行できる実力派ぞろいです。
(僕も、同じようにあるべく、日々精進の日々です。)
ですが、こと、新しい分野へのチャレンジとなると、自ら率先して手を上げる人が一握りしかいません。
もっとも、日々の仕事に追われている人がいることが一定数いることは認識しており、彼らにそれを求めるのは酷というものです。
僕が「ちょっとなぁ、、」と思うのは別の人たち。
なんとなく口を開けて仕事を待っているだけで、指示がなければ特に何をするわけでもなく。。。という層が一定数います。
力を持っているのに。
先日、一人の後輩と話していて、「あぁ、これが今の日本の現状を示す、象徴的な言葉だなぁ」と感じたシーンがあります。
「なんで、みんなこんなに真面目に働くんでしょうね。まじめすぎですよね。定時まで働いても十分食べていけるのに。」
本人は、何の気なしに言っただけの言葉でしたが、
僕にとっては日本の現状を示す、象徴的な言葉と受け取りました。
確かに、後輩の考え方は、ある方面から見た場合、「正しい」ともいえます。
個人の生き方は自由で、会社にいる時間だけがすべてではなく、自分の人生を豊かにすることに使うべきである。
即ち、「社畜になってはいけない」という観点から言えば、正しいかもしれません。
ブラック企業で働く人が、残業しすぎて、ストレスで、過労で自殺、、、という時代。
会社に時間を奪われて自分の人生をフイにしてたまるか。という立場からの言葉なんだと思います。
間違いじゃない。
間違いではないのですが、
一方で、日々会社というよりは、会社に身を置いて、会社のミッションを達成すべくビジネスの場で必死に戦う人たちがいます。
上記の「社畜たるな」的な人がいる場合、同時にこういった人たちに「確実にしわ寄せがいく」という事態になります。
(実際そういう場面を見ます。)
自分の人生を守る人がいる一方で、彼らのために他人の人生(時間)を奪って生きているということもまた、一つの事実として認識して生きていくべきではないかと思います。
まぁ、そうだね。
でも、それは「会社組織」にいるという前提付きだね。
後輩には、その言葉を付け加えておきました。この言葉をどうとらえてくえるか?(もしくは完全無視w)は彼に任せるんことにしました。
自分で「食っていける」人間になる。そしてそんな子供たちを増やす。それが今、日本に必要な力。
このやりとり、
これは、僕がたまたま、不動産投資を通じて、「事業の難しさ、毎年黒字を計上して、そこから、個人が十分に食べていけるだけのお金を得ることの尊さ」を肌で理解できていたからこそだと思いました。
不動産投資をやっていなければ、「だよねー」と単純に同調していたことでしょう。
この後輩の言葉は、昨今の日本企業(とくに、老舗の大企業に顕著)が、ジリ貧に向かう一つの象徴的な言葉に聞こえました。
「一定時間働けば、一定の(現時点では安定した)給料がもらえる」
この概念が、ずれて理解されえいるからだと思うのです。
これは、一般社員だけでなく、マネージャー層も含んでいます。
大きくかけているのは、この「給料」というのは、企業が、社会に対し、安心・革新・変革・喜び・楽しみ・ワクワク感といった「プラスの向きの価値」を提供できて、そのうえで、その価値に対する「売り上げ」と「利益」を十分に享受できた前提が必要です。
果たして、現在の日本企業で、そういった「プラスの価値」を提供できているところがどれだけあるのか??
もちろんたくさんあると思いますが、同じ比率で、その価値を提供できず、戦後の復興からバブル期に至るまでの先達が世界に対して積み上げていった「価値」を食いつぶしているだけの企業もまた、たくさんあるのではないかと思うのです。
日本という国が長きにわたって、会社という組織を作り上げていった結果、
本来「ちゃんと価値を世の中に提供できたから、その対価ともいえるお金を手にすることができる。だから給料がもらえる」
という本質的な部分を見落としてしまっている(人が多い)のが現状ではないかと。
これが事実としたら、怖いです。
先日、妻がとある教育業界にいる人(名前、忘れました。。。)の本を読みました。
彼曰く、
ここ20年近くで、子どもたちに「自力で考えて、自分で行動し、その責任を自分で負う」という力がなくなってきている。
これからは、
「自分で食っていける」子供たちを増やしていくべきだ。
これが次の日本をになっていく人材になるはずだ。
と。
全く持って同感です。
子供たちが「自分で調べて・自分で考え・自分で行動し・ひらめき・仲間を募り・議論して・反映し・そして行動し、その結果を受け止める」というプロセスが回せるようになれば、きっと次の日本はきっとワクワクに満ちた国になると信じています。
企業だって同じです。
「いや、会社が儲かんないのは、マネージャーがビジネス感覚がないかだろ」
「うちらは、自分の仕事を全うするのが仕事だから」
自分もそうですが、こういった感覚を捨てて、できるだけ一人一人が「世の中に何を「価値」として提供できるのか?そしてそれは良い影響を与えていけるのか?」という感覚をもって、日々の仕事をやるだけでかなり変わっていくのではないかと思います。
少なくとも自分だけ幸せだったらいいや。
的な人は生まれてこないはずです。
京セラ創業者の稲盛さんの言葉で、
無私・利他 の精神たれ。
は有名だと思います。
現在の超有名どころの大企業の創業者は、社会に対して価値を提供するために、自分の人生を(とりあえずは)おいておき、世の中に、ワクワクや面白さ・変革を与えていった。
だからこそ現在の企業価値が世界から評価されていると思うのです。
もちろん、現代の人生観に合う合わないはあるにせよ、こういった先達の感性は、普遍的な部分が必ずあるはずですから、
これを自分たちの時代に合わせて、生きていくべきではないかと思います。
不動産投資然り。
昨今、こと「利回り」「結局は金ですよ。」的な風潮があります。
これも間違いではないですが、正解でもないと思うです。
ここにかけているのは、やはり「借りて頂ける人たちに、安心感・安らぎ・癒し・ワクワク感・ドキドキ感・革新・変革を与えていけるか?」ということ。
これは必ず物件の「顔」となります。物件力につながります。
自分で「食っていける」人間になる。そしてそんな子供たちを増やす。それが今、日本に必要な力。
と書きましたが、今、そしてこれからの不動産賃貸経営者(大家さん含む)には必須の力になると思います。
そう自分に言い聞かせ、会社の後輩の言葉を心に刻んでおきたいと思いました。
では、明日は川崎物件大規模修繕最終編ってことで。
良い週末を♪